市場とは何か その2

 市場にとって、最大の難敵は流動性が欠如することである。

 一般的に現物市場より先物市場の方が、流動性が高い。なぜなら、現物市場とは、現物を保有している人が売り、実際に現物を購入したい人が買う。魚市場を連想していただければわかるであろう。売り手は魚を捕ってきた漁師またはその仲買人であり、買い手は魚屋やスーパー、百貨店等の魚の販売業者またはその仲介者である。それぞれ手元にあるだけの魚を売り、買い手は目の前にある魚をたとえ安いからといっても、必要以上に購入することはない。取引はそれぞれの欲求が満たされれば終了する。こうした当業者の数は限られるので、大半の現物市場の取引時間は5分ともたない。

 ロンドン金属取引所(LME)は先物市場(Future)ではなく、先渡し(Forward)である。つまりリングを囲んだ13社のリングメンバーが相手を選んで相対取引を行う仕組みになっている。

 5分間のセッションのうち最初の数分は静かであり、残り数十秒という時に一斉にリングメンバーが大声を張り上げて買い手に売りのオッファーを出し、売り手に買い手がビッドをぶつける。そうした喧騒の中にリングが鳴り、実際の取引はわずか数秒で終了する。

 2014年に無くなったが、ロンドンの金フィキシング市場はロスチャイルド銀行の『黄金の間』と呼ばれる8畳程度の狭い部屋に楕円形のテーブルが置かれ、N・Mロスチャイルド&サンズ、サミュエル・モンターギュ、モカッタ・アンド・ゴールドスミッド、シャープス・ピクスレイ、ジョンソン・マッセイ・バンカースの5業者が毎日午前十時半と午後三時に値決めを行っていた。それぞれの業者が旗を立てて椅子に座り、黒い直通電話を片手に本店と連絡を取りながら、金の鉱山会社等からの売りの指示を場に伝え、金の精製メーカー等からの買いをぶつける。これらの現物取引も一日2回各5分間ずつあれば事足りた。現物市場とはそういうものである。

 このロンドンのフィキシング取引は、2014年3月LIBOR(ロンドンにおいてインターバンク取引により資金の出し手から提示される金利のことで、ロンドン銀行間取引金利とも呼ばれる)の決定方式が不正操作されたとして、米国連邦預金保険公社(FDIC)が世界の大手銀行16行に対し訴訟を起こした。こうした仲間取引で決定される価格に不正が行われ得るという認識が一般的になったため、ロンドンの金の現物市場も機構改革が行われた。2014年新たなロンドン金ふぃき寝具方式の入札が行われ、CMEグループとトムソンロイターは、2015年3月20日電子取引により117年続いた5業者によるロンドンフィキシング取引を引き継ぐこととなった

 一方、先物市場では、実際に商品を受渡しする人は少なく、先物取引の特性である『反対売買を行って差金決済する』市場参加者が大半である。歯医者や弁護士が原油を売ったり買ったりする。つまり現物を持っていなくても、あるいは必要としてなくても、先物取引は自由に行うことができる。そのため、先物市場の流動性は非常に高くなる。

 第二次大戦後の世界の為替レートは1944年米国のニュー・ハンプシャー州ブレトン・ウッズにおいて開催された連合国通貨金融会議で決定された。ドルの金平価は1ドル=0.8886706グラムとされ、1トロイオンス=31.1035グラム=35ドルと決められた。

 物価は短期的には大きな変動がなくとも、長期的にはインフレであった。そのためドルの価値は減価していった。1954年3月に第二次大戦後初めて再開されたロンドン金(現物)市場では、金価格はしばらくの間は35ドルという公定価格の範囲内に収まっていたが、1960年7月からじりじり上昇し始め、10月には協定価格1オンス=41.3ドルを上回るようになった。西欧諸国は投機自粛の申し合わせをした。米国はイギリスに金を公定価格で売却し、イングランド銀行はロンドン金市場に公定価格の35ドルで売り向かった。この操作で1960年11月から翌年1月にかけ金相場は36.18度ルあたりで維持された。しかし、その後の金価格高騰で米国が保有していた金は見る間に減少していった。

 米国は1949年末2万1,707トンの金を保有していた。それが1960年末には1万5,821トンと、11年間に20%以上金の保有量が減少した。1961年、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、スイス、アメリカの8が国は、一定比率で拠出した239トンの金をイングランド銀行に預託し、市況を見ながら売買操作させて、金相場の安定を図った。イギリスは、ヨーロッパ共同体に加盟しようとしたが、加盟申請が反アングロ・サクソン主義者のド・ゴールに拒否されると、イギリス経済は低迷し、1964年労働党政権が成立し、激しいポンド売りが起こった。1967年11月英国ぽンドは、1ポンド=2.8ドルから2.4ドルに一気に▲14.3%切り下げられた。ポンド切り下げと同時に、ロンドン金市場では金投機が再燃した。連日取引高は倍増し、一日の取引量は6~8トンに上った。フランスを除く7ヶ国は合計1,250トンの金を市場に放出したが、投機熱は収まらない。市場は一時的に閉鎖されたが、再開後の金価格は43ドル以上に上昇し、公定価格と市場価格の二重相場制となった。

 ポンド不安の根底にあるのはドル不安であった。ベトナム戦争の進行により、1965年のベトナム駐留米軍は2万人であったが、1967年には50万人に増加していた。1968年の米国の金準備高は9,679トンと1万トンを割った。1968年フランスでは「5月革命」が燃え上がり、フランス・フランも危機に陥った。1969年フランス・フランは12.5%切り下げられた。一方で、ドイツマルクは9.29%切り上げられた。

 パリでのベトナムとの和平交渉が不調に終わると、米国はジョンソン大統領が出馬を断念し、ニクソンが大統領に就任した。彼はベトナムから徐々に撤兵させたが、国内では帰還兵を雇う程経済は良くなっていなかった。

 米国経済の低迷ぶりに、ドルの金平価切り下げの噂が流れ、ドルを金に換える動きが高まり、1971年1月から8月までの間に米国の金保有量は▲710トンも減少した。米国は公定価格で100億ドル(金換算8値8,886.706トン)の金保有を絶対必要としていたが、これを割り込む恐れが出てきた。1971年8月15日ニクソン大統領はアメリカが保有する金とドルとの交換を停止すると宣言した。為替市場はドル売り一色となった。為替市場を閉鎖したEC諸国は、再開後変動相場制に移行した。日本も追随して変動相場制に移行。1ドル=360円から341円となった。

 米国は、金価格が英国で決定されていたことを嫌い、1974年金取引を41年ぶりに自由化し、独自の金市場をニューヨークに創設し、COMEX(ニューヨーク商品取引所)に金が上場された。これは現物取引ではなく、流動性のより高い先物取引であった。ロンドンのギルド的な不透明な価格決定方式ではなく、誰もが参加できる透明性の高い先物取引が採用された。差金決済できるということは、証拠金で取引ができるためレバレッジ(梃子の原理)が働く。例えば金1kgを現物で購入するためには、現金が496万5千円必要であるが(2018年6月18日の田中貴金属店頭小売価格)、一方東京商品取引所で金を1kg購入契約するには証拠金6万6千円で済む。(注:証拠金は毎月変更されている。上記は2018年6月の株式会社商品精算機構による証拠金規定による)つまり、レバレッジは約75倍となる。
 

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