東京金の30年史(3)破滅ゲーム終了で反発した2000年代

1990年代は鉱山会社と中央銀行の破綻ゲームの帰結として金相場は急落しましたが、その反省が2000年台の安値是正の動きに直結しています。

最も大きな動きは、1999年9月に欧州の主要中央銀行が集まって保有金の売却に制限を設けたことです。通称、ワシントン協定と呼ばれるものです。同協定では、年間400トン、5年で2,000トンの売却枠を設定すると同時に、売却時には市場に影響を与えないような方策が採用されました。5年で2,000トンは決して小さい規模とは言えませんが、少なくとも最悪のシナリオが想定できるようになった影響は劇的でした。

この協定は04年と09年にも更新されています。協定内容は微妙に変化しており、既にその役割は終えたとの指摘もありますが、80年代の無秩序が解消されたことが、金相場反発の原動力になりました。内外の金相場が99年に底入れしたことからも、そのインパクトの大きさが確認できるでしょう。

これに慌てたのが鉱山会社です。80年代は自らを窮地に追い込むヘッジ売りで金相場の急落を招きましたが、今度は金価格高騰にもかかわらず収益が増加しない事態に追い込まれたのです。株主から批判の声が強まる中、ヘッジポジションの解消(買い戻し)を迫られ、それが00年代前半の金相場急騰を需給面から支援する動きになりました。

1999年には500トンを超える金がヘッジとして市場に供給され、2年先、3年先もの長期にわたる金相場下落に備えたヘッジ政策が展開されていました。それが00年代は一気に解消に向かったのです。02年、06年、07年には400トンを超えるヘッジ解消が行われており、実質的な減産圧力として機能することになりました。

こうした中央銀行の金売却制限と、鉱山会社のヘッジ解消が、供給項目から金相場を押し上げる原動力になりました。90年代とは逆向きのフローが発生したのです。

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